関ジュに落ちるまで
初めにどうでもいい私の情報を投下します
いわゆるプロローグです(そんなにいいものではない)
〜プロローグ〜
語彙力高めのヲタクの皆様が、改行なんかの俗に言う”可愛いテク”を行使せずとも伝わる熱心な愛情と、読みやすさに影響された。いつしか私も書いてみたいな...程度だった私の気持ちが今は忙しくて仕方ないのだ。
関西ジャニーズJr室龍太(29)くんに対する
私の気持ちが忙しすぎる。
これから先も彼にはステージで歌って踊ってアクロバットやって、大好きな笑顔で活動して欲しいと切に願ってる。でもそれはあくまで私の、1人のヲタクとしての願望だ。今まで夢を諦めてジャニーズを退所した人も、そのファンも私は知っている。龍太くんも私も『明日は我が身』なのだ。
それでも彼は毎週日曜日、大好きな笑顔とツッコミをお茶の間に届けてくれている。不定期の彼の日誌も、最近やっと復活した少クラの関ジュニ通信も、雑誌も『関西ジャニーズJrの室龍太』がいる。当たり前のようにメイン4人の中の1人としてそこに存在している。
お松竹やコンサートが決まる度に、龍太くんに会えるやっふー🙄💕とのうのうと生きていたはずなのに、いつまで龍太くんはJrでアイドルをしてくれるのかな?にシフトチェンジしている。デビューもありなのか?卒業して応援出来るかな?卒業後の仕事はどうなのか?
なるようにしかならないのは分かっている。
ただ彼には時間が無い。時間はないのだけれども、選択肢も可能性もまだたくさん残っているはずだ。
みなさんお気づきであろうか、今まで語ってきたこと、室さんへの溢れる想い爆発して、プロローグではなく、もはや本編です。
〜プロローグ(再挑戦)〜
大好きな龍太くんにこれからもずっと歌って踊ってる姿を見せてほしいという願いと、30歳まであと一年を切ったという現実に毎日心が忙しい私がついに、鬱と診断され現在病気療養を目的とし仕事を休職しております。
衣食住には困らないし、仕事から離れて随分気持ちも落ち着いてきていると思ってますが、睡眠薬を飲んでも夜は眠れません。そんな私が夜のこの恐怖と不安で悶々とした時間を関西ジャニーズJrへの愛へ還元できないかと😌始めたブログです。(いや急に話し重いわ!と思った方ごめんなさい)(至って普通のヲタクです)
〜プロローグEND〜
本編
前置きが長すぎるのは置いといて、私が関ジュに落ちた瞬間を覚えていない。関ジュ好きなんすよね〜という程度の会話をしていた頃から積んでまで遠征するヲタになるまでの私の心境の変化は何なのか。
恐らく私は『新規』の部類に入るだろう。異論意義はありません。
私のヲタ歴
2010年 〜 2015年冬 嵐 (大野智)
2015年春 〜 201? ジャニーズWEST(中間淳太)
201? ~ 現在 関西Jr(室龍太)
この201?が今でもわからない!!!!!
ジャニーズWESTがジャニーズWESTになる前から私は彼らのことを知っていたしぬるく照史くんを応援していたこともある。でも幼き頃の私は狂ったように嵐に夢中だった。
嵐からジャニーズWESTに降りたのは明確だった。ジャニーズWESTとファンの距離が近いその一言に尽きる。ジャニーズWESTの売り方を見た時、頭を殴られたかのような衝撃が走った。この人達について行こうと思ったのを強烈に覚えている。
ジャニーズWESTや関ジャ二∞をを応援すると必然的に”関西ジュニア”の存在にたどり着くだろう(偏見だと申し訳ない)。
関ジュの頃のジャニーズWESTを、デビューしてからみてこなかった彼らの映像を漁りまくった結果、まいど!ジャーニーにたどり着いた。
健気に話す彼が素敵だと思ったのは間違いないだろう。だがそれはきっかけであり始まりにすぎなかった。
おそらく私の歴史が変わったのはジャニーズWESTがクリスマスに京セラドームで行ったライブの時だと思う。
funky8やトリオを初めとするJrくんのみのバックだと思っていたのになんと、メインもいる!メインもいるではないか!わーなんと贅沢なライブなんだジャニーズWESTもよかったね、Jrくん達もドームの舞台に立てて良かったね、バックありのときの公演に入れてよかったな(これがあの時の私の感動を伝える語彙力の限界であることをお許しください)くらいの気持ちでいたのに!!
照史くんと戯れる室龍太!!
その時私は気づいてしまった
『龍太くん
バリイケメンやない?』
これが関ジュという沼にハマる第1歩だったのかもしれない。
その後に行われたアリーナツアーなうぇすと
メインはバックについていなかった。
おそらくfunky8全員揃っていた(と記憶している)ありがたいことにアリーナ花道横前列という神席チケが当選したあの時、ジャニーズWESTはスタンドや後ろの席ばかり気を取られていたし、実際メインステで披露する楽曲は少なかったもしくはフォーメーションダンスなどのみでバクステセンステが主に使われていたイメージ。アリーナ前列の感想は『ひとまずセンステ、バクステが逆光で見えない』メインに映し出される映像を見ようとすると『本人を見ようと必死な前列の方となんだか気まずい(笑)』
これならスタンド前列がよっぽどましやな〜と思っていた時、関ジュくん達は非常に優秀でした!(拍手喝采)めちゃくちゃしゃかりきに踊るやん!おそらく自分たち目当てじゃないファンがいることも、主役は自分たちではないことも理解した上でめちゃくちゃお客さん楽しませるやん!ちなみに私はリチャくんと一緒にパラパラ踊った(笑)
あ、好きだな、と思った瞬間。
関ジュへの沼の第2歩だった。
第3歩目は、少クラin大阪2017。
NHK枠での番協に行きたくて、締切の30分前に思い切って職場の関ジュ古株お姉様に提案したところ快諾していただき、締切5分前に番協に応募したところ、なんと当選し、当たるなんて思ってなかったため、あたふたと新幹線と宿を取りはるばる九州から大阪へ。私が見たかった景色はその頃はまだジャニーズWESTだったはず。双眼鏡は濵田崇裕をロックオンしていた。はずだったのに、やはり生で見る龍太くんのかっこよさに圧倒され軽率に龍太へターゲット変更。エンディングでは濵ちゃんと(藤井)流星に囲まれる龍太くんという素晴らしいスリーショットだった。
はずだった。
最終的にはジャニーズWESTのみが客席と客席の間にあるステージに移動しカメラを独占している風景を目の当たりにし、私はデビューという壁の大きさに驚きを隠せずにいた。
ジュニアの頃は一緒に活動してたのに、BBV黄金期10人の中に間違いなく龍太くんはそこにいたのに、何が違うんだろう。何がいけなかったのだろう。彼らの関西ジャニーズJr時代を見逃していたことが非常に悔しかった。
恐らく、この時『めくるめく変わりゆく関西ジャニーズJrを一瞬も見逃してはいけない』気づいてしまったのだ。
夢のような時間が終わり、古株お姉様と一緒に近くのお好み焼き屋さんでお好み焼きと焼きそばをアルコールで流し込み、先程の夢の世界の話に花を咲かせた。
『...え?大阪遠征めっちゃ楽しくない?
控えめに言っても最高じゃない?』
気づいてしまった私は九州の自宅に戻り、すぐジャニーズJr情報局の会員登録を行った。
少年たちの受付には間に合わず一般で挑戦したが当然のごとくチケットは取れず悶々と1人流れてくるレポで好きの想いを募らせていた。
そして待ちに待ったクリパの発表と受付開始🤗情報局入会して初めてのコンサートだったため、クリパのチケットは一公演無事に手元に届き、着々と古株お姉様と一緒に飛行機と宿の手配の準備を進めていた。(もうここで既に楽しい)
いよいよ当日、驚いたのは「うちわがない」ほんとに知識不足🤦♂️少年たちはだめやろくらいの気持ちだったが、コンサートもか、、、と驚きと同時に、団扇という自担の気を引く最大の武器を無くしたファンの子たちが必死にペンライトの色のみで必死に愛を伝える姿が素敵だな、と思った。うちわがないので隣の子◯◯担なんやなという変なライバル意識や、前の子のうちわ規格外、しかも2つも顔横に掲げて前見えんわコノヤロ🙃みたいな雰囲気がないのがかなりいい😚💕松竹座のお客さんピリピリしてない(と感じた)ので好感度めっちゃ高め(私調べ)。👌1階席のかなり後ろの方だったが、丁度いいキャパのため肉眼でも認識できる彼らにテンションが上がり、少クラin大阪でも最終的にバックに徹していた彼らがメインでかがやく姿を見てテンションが上がり、さらに花道横ということもあり、なんとあのめちゃんこイケメンの生の室龍太さんからのお手振りも頂き(腰が砕けた)正直これは担降りした方が幸せだと理解した。
〜エピローグ〜
上記している全ての要因が重なり私は関ジュへの沼へのこのこと入り込んで抜け出せなくなりました。沼に導いてくれたジャニーズWESTと古株お姉様には感謝しかありません。
ジャニーズWESTを降りることに対する葛藤もなかったことはないですが、何より関ジュくん達を応援したい気持ちに嘘はつけないな、と関西ジャニーズJrの扉を開く運びとなりました。
初めはメインとfunky8、トリオ、DK、バンドくらいしか認識出来てなかったのが今ではちびジュも愛おしく18年組にまで手を出そうとしています。関西ジャニーズJrは最高に楽しいエンターティナーです。
結論
関ジュヲタはいいぞ。すごく楽しい。
もしこの長ったらしい自己満ブログを最後まで読んでくださった方がいらっしゃるのであれば、、、嬉しいです😚ありがとうございました。