ヲタクでないと息ができない話
ついに、Webになにわ男子のコーナーが...
本日仕事終わりに銀行のATMに立ち寄った際にふと、気づいてしまった。目を疑うとか、驚きとかは不思議となく、「あぁ、やはりそうか」と。強いて言うなら「事務所仕事早いな」くらいのもので、案外あっさり受け止めるのと同時に、何故龍太くんは、と、多少の憤りを感じていた。
この「憤り」は事務所だとか、龍太くんだとか、なにわ男子とかにではなく、あくまで私に対する感情で、この感情を言葉にしたところで誰も幸せにならないことは重々承知の上で記録しています。ご了承ください。
関西ジャニーズJr.はどのメンバーも好きだし、応援しているし、『関ジュ箱推し』を明言している私だが、私は複数の人を同時に愛でることが出来ない不器用人間だ。やはり、いざとなったら龍太くんがナンバーワンでありオンリーワンなのだ。
だから龍太くんより優遇されている人がいるという事実が耐えられなかった。
私は21年間私として生きてきているので、そんな感情が渦巻いていることくらい容易に理解出来るはずだが、分かりたくなかったのもまた事実。頑張ってきたのは龍太くんだけじゃないし、彼ら(Jrも事務所の方も)は生きるために仕事をしているし、仲良しこよしで通用するほど甘い世の中ではないことも頭では理解しているのに、どうしても『なにわ男子ではない』龍太くん...というか、週1で定期的に更新するなにわ男子と相反する、なにわ男子ではないその他Jrの1部になってしまったことに対してどうしても納得がいかなかった。
心底物分りの悪いヲタクだと思う。
昨日龍太くんへファンレターを書いた。龍太くんのかんじゅ日誌に対するアンサーソングのような文章になった。そこに「龍太くんがいるから毎日幸せ。だから龍太くんにも幸せになって欲しい」という(ニュアンスの)言葉を選んで記した。そんな私が龍太くんをなにわ男子より劣っているように感じてしまう自分に酷く嫌悪感を抱いた。
龍太くんはオンリーワンでありナンバーワンなのになぁ、いつになったらなにわ男子の存在に黄色い歓声を上げることが出来るのだろう。
悔しいなぁ
室担として恥ずかしい発言なのかな?どうなんでしょう...もし龍太くんが好きな人が同担として恥ずかしい意見だと思われる方がいらっしゃるのであれば申し訳ありません。あくまで私の意見を記録していると捉えていただければ幸いですし、室担だと思われなくても結構です。
という前置きはさておき。
私は気づいたらヲタクだったし、気づくまでもなくどうしようもなく室龍太のファンでいる人生を選ぶ私が誇らしいと思っている。
龍太くんを好きになったのは一目惚れのようなもので、運命であり宿命なのだろうなと。
そんな私は現在も鬱(診断名は神経衰弱)治療中で気持ちにも波やムラがある。ある程度理解のある職場のため上司や同僚からは温かく見守って貰っているが、「ジャニーズ以外の趣味を見つけたら?」と頻繁に提案されることがある。
無論、ジャニヲタは理解されづらいのをわかった上でヲタクを明言しているので、多少の批判には目をつぶるつもりでいる。
私のことを我が子のように接してくれる沢山の上司も、私のことを思い、九州から大阪の交通費や宿泊費等を考慮し、気軽にできる趣味を、と勧めてくれているのも痛いほどわかるし、感謝もしている。
でもやはり、私にはヲタクという道しか残されていない気がするのもまた事実。
幼い頃より水泳、サッカー、バレー、弓道、書道様々な習い事をし、飾れなくなるほどの賞状やメダルをもらい、代表選手となったこともあったが、何の為に頑張るのか分からなくなって2年前全てを手放した。
そんな私が10年以上も続けているのが「ヲタク」
揶揄されてもいいとおもってます。
もはやそれは趣味ではなく「生活の一部」になっていて、その生活の一部が目を開けて、感情を動かしている時間の半分を占めているような気がする。それでいいし、それがいい。
彼らの活躍に一喜一憂し、彼らの言動に心踊らせ、彼らの生き様に惚れ惚れして毎日を過ごしている。図々しいかもしれないが、担当は自分を映す鏡であり、担当とともに成長しているような気がする。担当を幸せにするためでもあるし、ひいては自分の幸せになる、無限ループのようなものを感じる。超絶一方通行ではあるが、運命共同体というのがしっくりくるかな、私の生活の中に室龍太が必要で、室龍太が幸せであることに生きがいを感じているのだろう。
おそらく今の私はヲタクでないと他人の同じように生活できていないだろうし、ヲタクであることを終了する時は、きっと家族ができた時もしくは人生を終了する時なんじゃないかなと思う。
ヲタクであることが幸せだ!
大好きな人のことで心動かされる毎日がどうしようもなく大好きだ。
他人に迷惑をかけないよう今日も私はヲタクをやっていきます。おわり。